八米屋のおもうこと– 運営理念 –

目次

八米屋 ただ “おいしい” をそのまんまに

◎ “美味しい” ってなんだろう?

『農家の食べてる美味しいお米』や『あんしん あんぜん』という言葉を八米屋のキャッチコピーのひとつに使用しています。一農家としても一消費者としても、様々な言葉や説明や理念や理想のようないくつものフレーズが思いあまる程にあったのですが、よくよく考えてみると「美味しい」も「安心」や「安全」も、本当は基準値などない概念として、定めることなどできないものだと気がつきました。

“食の安全”に関してならば、確かに外部的な客観的基準値などにおいて、科学的な数値や社会的な価値として、一定の秩序を定めることは可能ですが、なにをもって“安全”なのか、人体や自然環境への干渉や影響を見るには100年でも1000年でもほぼ無限の調査が本当は必要です。

“安心”や“美味しい”に関しては、個人におけるほぼ情緒的とも言える感覚が全てであって、どんなに安全であっても、どんなに食味値が高くとも、ほぼ絶対に確定することは不可能です。

だけれど“美味しい”も“安心”も、我々の中には、確かに存在するのです。言語と認識は比例すると感じています。はじめに言葉が生まれたのか、感覚や認識が先だったのかはわかりませんが、日本語の語彙量は膨大だと言われる中で、例えばこの「安心」という言葉も英語にはありません。

そこで “美味しい” って、いったいなんだろう?と、思いが巡りました。

◎ “美味しい” も “安心” もそれぞれのもの

「安心」が日本語にしか無いということは述べましたが、例えば、日本人にしか無かった有名なもののひとつに「旨味」があります。近代ではよく「お米って味がない」という人に出会いますが、もちろんお米には味がありますし、品種や産地などによっても味覚は異なるものです。

しかし、よぉくよぉ〜く考えてみてください。あの “お米の味” 塩さえつけていない、あの味。よぉ〜く考えると、なんであんなものが“美味しい”って感じるのだろう?って思いませんか?西洋食などにあるあのハッキリとした味付けや、甘いとか辛いとかそういうものでもないのに、なぜかお米って美味しいのです。

「安心」も同じです。どんなに安全性や信頼性を提示されても「なんかこの担当者がなんとなく信用できない」だとか、どうしてもこの土地やこの場所に来ると落ち着かないだとか、なぜか理由はわからないけれど “安心する” といった感覚が、表現や説明はできなくとも確かに存在する。

―― そのようなことを巡らした結果、『あんしん あんぜん』というフレーズなどはこんな曖昧で不可能な言葉を使用して、お米の販売などをすることはやめようと、一度はそんな結論に辿り着いたのです。美味しいって思うのも、安心だと思っていただけるのも、すべては食べていただいた方だけの味覚や心などの感覚なのですし、美味しく感じるのも、それぞれに好みや感性があるのですから。

◎ ただ実直に八米屋は農家です

そうこうして最終的に辿り着いたのは「農家」でした。八米屋という商号はさておき、何百年も前から代々稲作農家を営み、私の父や母が引き継いで、過ぎゆく季節の中で土まみれになって、幼い頃からその姿を見てきました。そんなお米に対して、結論、どんな思いでお米に向き合っていたのだろうか?と想いを重ね想像してみたのです。

答えはとても簡単なものでした。農業に対しての理論や哲学や、商業的な基準や科学的な根拠や、そんなあれやこれやといった理屈なんかは、全く興味すらなく。その感性や技術においても言葉になんかする必要もないほどに、ただ自然の営みに寄り添い、実直にお米を作り続けてきただけなのではないだろうか。

ただ “美味しい” にまっすぐ向き合って、誰もが『美味しい』と感じる食味としての旨さはもちろんのこと、そんな人間の“美味しい” には、味だけではなくて、『安全は体に美味しいということ』『安心は心に美味しいということ』、そしてそのお米をずっと継承していくためには、自然やすべての生命や環境との共存が必須であって、お米や自然も生命として、きっと人間同様に “安心” や “安全” という栄養が欠かせない。

そんな途方もない万物の摂理としての理由を説明や証明するなど不可能で、そんなことは知ったとでもなく、ただ実直に、ただ “美味しい” に素直に向き合って、お米を作り続けてきたそれだけなんじゃないかって、結論に至り、現在のWebサイトの構成や文言になりました。結局、素直に『あんしん あんぜん』『美味しい』を、あるがままに正直に掲載しております。

様々なブランディングや食品や衛生観念などに対しても、巧妙な「理由づけ」やストーリー展開が盛んな現代社会の中で、八米屋は、ただ実直に “農家のまんま” であり続けることが、もしかしたら最大の当店のお米の特徴なのかもしれません。

◎ あんしん あんぜん お米のあるがまま

現在ご覧いただいている「運営理念」ページの冒頭に『ただ “おいしい” をそのまんまに』というフレーズを記しました。(2021年7月現在) もう、すべてはその言葉にあると感じています。

そこで使用している画像のモデルの女の子、友人のお嬢さんなんですが、とても美味しそうにおにぎりを食べていたので、その場で許可を得て撮影に至りました。なんか、実はこの写真を見ていてそんな気持ちにさせられたというか、気付かされたのです。

例えば、お米をご購入したお母様のもとに、まだ小さなお子様がいて、そこにある気持ちって、『ただとにかく安全で美味しいお米』を子供や家族に『安心』して食べさせたい。ただただ、そこが重要なんですよね。それどころか強いて言えば、幼いお子様をお持ちのご家庭なんかは特にですが、美味しさという旨味以上に、きっと「安全」や「栄養素」のほうが大事なんじゃないでしょうか。

私自身、幼い頃から父や母などが田んぼで働いている姿を見て育ちました。そういった農家にとっても、お米をお求めになる方々にとっても、お米って『ただ安全で美味しい』それ以上の理屈も理由も無いに等しいんですよね。

稲作を営んでいて、いちいち作業中にああだこうだって理屈や理論をこねまわすかのように農業なんてしてないです。天候をはじめ自然に寄り添って、ある意味、そんな自然に振り回せられながら農業を営むのは、そんな頭でどうのこうのってやってる暇はありませんから。

農家も同じなんです。あるのはただ『美味しいお米を育てる』という品質への思い、ただそれだけなんです。そして、食味値や栄養素と同様に、安全も安心も “美味しさ” の重要な要素なんです。『ただ “おいしい” をそのまんまに』という、ただそれだけしかないようなものなんです。

ただ “おいしい” をそのまんまに。そして自然もお米も人間も心も体も大切。これからも八米屋は、実直に農家のまんまであり続けます。農家のまんま、天然のまんまの無垢なお米、ただ、美味しいも安全もその他のあらゆる美味しいの理由もそれらの全部の要素で、またそれよりも、美味しいよりももっともっと遥かに前にある気持ちで、『安心』というのはとっても大事なことなんだと思います。


八米屋 農家の食べてる美味しいお米

◎ 自然のあるがままのお米

八米屋では『農家の食べてる美味しいお米』というフレーズにもあるように「自然のままのお米」という、農家が収穫したままのお米を、そのまま農家が食卓で食べているままにご提供するということを大切にしています。

そのため「害虫駆除」や「雑草除去」等における必要以上の農薬の使用や環境への無配慮による殺生や汚染に繋がる行為、多くの食料として問題のないお米を廃棄することにも繋がる「色彩選別」等においても極力、必要最低限に行い、自然からの食料をそのままに資源や生命として全うすることを理念と致します。

毎年、一定以上の品質への維持管理及び努力は尽くしていますが、あくまでも自然物として、完全に同じ食料のご提供は不可能です。また極々、稀ではありますが、自然物の混入やカメムシなどによる斑点米の混入なども、可能性としてはございます。できる限り自然のままのお米をご提供する上で、どうかご了承のほど、お願い申し上げます。

実際、カメムシやタニシ等の被害を避けるためには、農薬等の化学薬品を多量に使用する必要性があります。その時々の自然摂理において、被害が発生する率も毎年異なるため、あくまでも万物の采配に委ねてこその『自然のお米』であると考えています。また、それらの粒を省くためには、多くのお米を廃棄しなければならないという可能性も高く、『自然からの恵み』に対して、八米屋は、それを極限まで避けたいと努めています。

人間本位とも呼べる基準や都合によって、他の生物やお米自体を粗末にして、その生命まで殺めた上に、土壌や環境を汚し、その他の自然や生物にまでダメージを与える。そのほうがお米の価格も上がりますし、合理的だと言えるのかもしれませんが、それでは本末転倒で、結果的に「安全」や「安心」とは真逆な未来を作り出す人の業のようにも思えてしまうのです。

◎ 昔ながらの太陽のにおいのするお米や野菜

自然の中や田んぼにいると、森や林の木々や草花の下や間、枯葉や土や泥の中にまで、本当に多くの小さな動物や植物たちが棲んでいることを知ります。改めて認識するのは、生きていないものは殆ど無いということかもしれません。空中にも必ずなにかが飛んだり舞ったりしていますし、昼夜を通して音のない時や場所は存在しません。

八米屋

この星で自然に添って生きること。ただただ自然に添って農業を生きて思うのは、どんな学問や教育や科学・知育研究などよりも、ただ裸足で土や水に戯れ、ただ頬で光と風や森の息吹を浴びる、そんななんでもないことから五感や意識で捉える情報量のほうが遥かに多いということです。土や水や光や風にさえも地球の息吹として、まさにガイアの生命と意思が万物に行き渡っていることを肌身で思い知ります。

そして、人間もまた自然万物の一部であって、大げさではありますが、お米や野菜など本来の自然と分かち合うべき、または、自然からお裾分けいただく「生命ある食事」を、実直に味わうということにこそ、未来の人類の食事には本命とも呼べるほどの原理としての価値があると八米屋は感じています。

昔の農家が「天からの贈り物」「お天道さんのおかげ」などという台詞が、よく映画などには描かれますが、そういう感覚にある日本人の生き様や信仰心から学ぶ気持ちでもあって、この現代において、八米屋はちょっと “風変わり” であっても、そんな『昔ながらの太陽のにおいのするお米や野菜』を大切にしていきたいのです。

◎ ひとりの生産者が直送するという安全と安心

お米が販売されるまでに、お米屋さんをはじめ様々な業者や機関や加工や混合などの工程を経て店頭に並びます。その行程において、一般のスーパーなどで見られる “真っ白なお米” が出来上がるまでに、過度な精米加工により栄養素が削り取られてしまうこともありますし、業務用米などでは、時に漂白加工などが施されているものもや保存料等を散布してあると耳にもします。

八米屋は農家として、特に残念に思っていることのひとつに、他者や他の地域環境の田んぼのお米と混ぜられてしまうことがあります。偏った科学的な指標による評価や認識では計り知れないほどの多くの違いやお米の個性が本当はあるにも関わらず、同じ品種や生産地だからといって、それらは “同じ米” と扱われてしまうのです。

近年、農業の機械化による技術の進化により、農業自体の労力も格段に楽になったこともありますが、その反面として、多くのお米や野菜などの生産物が一定品質に見合わないために廃棄されたり、格安な価格で取引されてしまうという現実に直面しています。

それらの基準はなにかと言えば、食味や安全性や栄養素などのエネルギーではなく、その価値基準は『売れるかどうか』という商業的な商品価値にあるのです。極端な物言いではありますが、つまりは『見た目』が基準なのです。虫もつかないほどの「真っ白なお米のほうが消費者に売れる」それは、確かに理解する最もな理由ではありますし、なにを選ぶのかは人それぞれであり、それら社会や文明の進展もまた自由です。

なにが良い悪いとか正解だとかいうことではなくて、同じ田んぼとひとりの農家、ひとつの生産地の特定した生産者から、一切の仲介を通さずに直送するということに、安全性や品質生への安心は確かにあるのではないかと考えます。

◎ 自然のままの “昔ながら” のお米の提供

握る人や気分や愛情や真心や技術によっても変わるおむずびの味のように、土壌や水質や天候のみならず、稲を育てる人によって何故か変わる品質やエネルギー。そんな “あたりまえのこと” のような事実があっても、一般市場に販売される時には、様々な加工と混合等によって見た目や商品名的には同じお米とされてしまうこと、そして消費者としては、限られた選択肢しか巡り会えないという事実。

本当に地球の大地で太陽や水や様々な生物たちも含む自然の中で育つお米は、実はもっと個性的なのです。白くもありませんし、虫食いの跡が残っていたり、粒の大きさもまばらであったり、それこそ野菜であれば泥もついてますし、形状も同じものは二つとしてありません。

昨今は、農家にも商業的な指針が強くまるで工業的に作物を製造しているような方々も多いですが、その分、多くの基準値に満たない作物達が、食べられずに廃棄されているのも事実です。

八米屋

“美味しい” や “安心” というのは感覚的なものですので、本来はそこに正確性は無いのですが、『農家の食べてるお米』というのは、それらの加工は一切なく、収穫したまんまを食しているということでもありますので、時にはそういった落選した農作物も美味しくいただきますし、また、見た目を良くするための加工などをしていない、最も無垢な天然の美味しい食事をしているということでもあります。

お米のあるがままに寄り添い “美味しい” とはなにかを感じながら、味と品質に向き合い、召し上がる方々の美味しいという安心した食卓を想像しながら、ただ実直にお米を作り続けてきました。我々農家は天然の生まれたままの無垢なお米を、自然の恵みのままをそのまま食べています。

八米屋では、農家が直送するという最も大切な商品的な付加価値としても、そのように『天然のまんま』の“あるがままのお米” の提供を大切にしています。


八米屋 今にしか存在しないお米を大切に

八米屋

◎ ご予約等はお受付しておりません

ご購入者様からのご要望の中で多いものに、事前清算によるご予約として、収穫前予約や年間契約等の「定期便」、保管代行や大量一括購入における「分納」などがございますが、八米屋では、それら共通の制度である『ご予約』は、お受付しておりません。すべての商品を売り切りの一点ものとして扱い、基本的には、商品の『保管』及び『分納』は行いません。

一度にご注文いただいた商品は、一回の配送にて納品させていただきます。分納をご要望の場合は、その都度の一回毎の発送分(送料含)にて、個別にその都度のご購入及び御清算をお願い致します。

そのため、複数や業務用等での大量一括購入における商品のお届け後は、ご購入者様のご自宅及び所有環境において、ご自身で保管していただくことになりますが、合計重量に対してのお値引や特典等を適宜、善処させていただけますので、必ずご購入前にお気軽にご相談ください。

◎ お米は生きている自然食品

八米屋は、実際の農家として『自然のままのお米の直販』がポリシーでもあり、自然物であるお米は、一般商業や製造等とは異なり、生産数や提供時期や納期などの確約及び契約は不可能です。一定の品質や収穫量もすべては自然摂理に委ねる上で、自然の恵みをお裾分けいただいているものです。

地球環境や災害や天候等により不作に見舞われる可能性も常にありますし、備蓄はあっても有事や経済社会における情勢等により流通機能等が停止して各ご家庭までお届けすることができない可能性もあるのが、生産地直送のお米を提供するということの基本理念だと考えています。

八米屋

現代社会では当たり前のように感じてしまっている、未知である未来に対しての保証・保障・補償などは、本当は架空の「安心」の約束のように思えてくるのです。無論、ビジネスも国家でさえも、約束が「無効」となる免罪のための一文を契約書に記載はしているものですが、稲も自然も地球も、そんな都合の良い契約書を交わしてはくれません。

今にしか存在しない限りある自然万物の采配に対しては、なにひとつ責任は負うことは不可能です。、約束できないものを約束して売買することは、どう努力しても不確定で無理なことだと観念しているという気持ちです。

お米は生きている自然食品であり、自然の営みに添った天然の『生命』です。本来の原点に還り考えて見ると、本当は「確約」できるものはこの世界にはなにひとつとて存在しないということこそが『自然のお米のまんま』に向き合う大切さでもあると感じています。

◎ 安心の共有と万全の蓄えに常に尽くして

その上で、定期的にご愛顧いただいているお得意様の年間消費量予測に沿ったお米は、安定した倉庫環境にて備蓄し、常時お求めいただけるよう最善の備えとして努めていますので、平常時としては常にご安心していただけます。

しかしながら、異例や異常という非常に稀な可能性だとしても、大型の台風などをはじめ、災害などにより備蓄米倉庫や田んぼ自体、ましてや我々農家、人間自身が機能不全に見舞われる可能性も常にあるため、該当品種のお米が完売となり、ご提供できなくなる場合も無いとは決してお約束はできません。

大袈裟に捉えられることは避けたいですが、例として、有事や災害時等における日本人の食料の備えとしてもお米は必須だと考えます。有事において何が、または誰が優先ということにおいては、命以上に特別なものはありませんが、日頃から当店をご愛顧いただいている皆様へ、どんなときも少しでも安心を共有できたならという願いは、常に指針の中にあるのも事実です。

たぶん、商業的には不誠実で無責任なのかもしれませんが「約束をしない」という、それもまた八米屋という農家なりの理念による誠意だと受け止めていただけたなら、とても幸いに存じます。

趣旨をご理解いただいた上でのご相談やご要望に関しては、可能な限り善処致しますので、遠慮なくお気軽にお声をかけていただきたく存じます。

◎ 今にしか存在しないお米や生命を大切に想う気持ち

日頃から農業を通して自然万物の一部として生きる感覚や理念を大切に思う上で、現代社会では当たり前のように感じてしまっている、未知である未来に対しての保証・保障・補償などは、本当は架空の「安心」の約束のように思えてくるのです。

無論、ビジネスも国家でさえも、約束が「無効」となる免罪のための一文を契約書に記載はしているものですが、稲も自然も地球も、そんな都合の良い契約書を交わしてはくれません。

常に流転する限りある無常な現世だからこそ、二つとして同じものはないかけがえのない今に在って、命を慈しみながらお米も我々も、自然から空間やエネルギーを共有して、万事を尽くしてその恩恵を頂戴する命の生産の営みとして、八米屋は農業を考えています。「自然のまんま」「あるがままのお米」「農家の食べてるお米」と銘打っているのも、まさにその想いが理由です。

今にしか存在しない限りある自然に対して、約束できないものを約束して売買することは、どう努力しても不確定で無理なことだと観念しているという気持ちです。お米が育つすべての環境においても、日光や土地や風や水や様々な生物達が稲の生長の殆どを営んでくれているもので、我々にできることは実はとても僅かなことなのだと八米屋は思うのです。

そんな有限のかけがえのない食料や生産物に対して、それら生命を営む自然や地球や宇宙に対しても、今よりもほんの少しだけでも、各々が大切に扱ってくれる時代を選んでくれたならと祈るような気持ちでいます。

誰の所有物でもない自然からいただいたお米達と共に、農業という僅かな人事を尽くすことによって、一定以上の美味しさや生産量を保持することが “今” はできている。そんな「今にしか存在しないお米」として、皆様ともその恵みを分かち合うことができたなら、本当に幸せに思えます。


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