2020-10-23

大きな課題と転機(中) − コロナ禍からの学び 編

−−−> 前回からの続きです。

前回の「上編」にて「いっそ弥生・縄文まで遡って」と先述しましたが、せめてもある意味で深掘りして『そもそもお米とは』『そもそも食料とは』くらいまでは遡ってみたいと思います。

話の初っ端から端折りますが、現在の日本人というか地球人として、やっぱり第一には「もっと大事にしなければいけない」のではないかと思うのです。なにを?って、やっぱり『食料』をです。

もっと言えば、植物や他の動物や人間自体も、そして自然万物のすべて、地球のすべてをです。とは言っても、ここはお米のサイトですから、あくまでも『お米』に限ってのお話の範囲内で、述べたいと思います。

不自然になれてしまった現代人の生活

グルメ志向的により美味しいお米の追求などって、1980年代から90年代あたりだと認識していますが、その後は「お米マイスター」だとか「食味鑑定士」だとか、各地方における「ブランド米戦略」だとか「農家の顔が見えるお米」だとか「ふるさと納税」だとか、秋口になればテレビなどでもお米の特集番組を放送したり、放送したお米は翌日から完売!って具合に、そこに、田舎ブームや農業ブーム、ロハスやエコやスローライフなども加わって、いかに「よく見えるか」人の関心をひきつけること、つまりは広告的戦略が農家や農業にもどっぷり染み付いてきてしまいました。

健康志向などにしても、とにかく「優れた作物や商品」をつくるために努力して、またそれらが評価されるというのは、とても健全な社会構造だと思いますし、お米にしても、より洗練し開発し、いいお米を追求することは、とても良い行為だと私も思っています。

中身に見合った相応しい価格で、それらは存在するべきですし、努力が実ったお米は、それなりに高額であるべきです。先述した「真っ白なお米」というものも、需要に見合っている分には、それはしかるべき商品であり、よい品を維持して提供するための努力なのです。

そして現実に「白いお米」のほうが売れるのです。この感覚は確かに私にもあります。清潔感や潔癖感という部分でも商品に求めてしまう感覚だと思います。

ギリシャ文明の話は前回述べましたが、そのほかにも、美白や歯のホワイトニングや一部にはヒラメの縁側なんてのもありますね。酸化防止剤的なね。そこまでしても確かに「白」ってイメージがいい。

だけど、白すぎる歯はいかにも不自然ですけどね(笑)そう、それを言うなら、冬のイチゴも養殖の魚や霜降りの牛肉も、腐らないハンバーガーや真っ白すぎる小麦粉も、自然界的に見たならそのどれもが異常ですし、フォアグラは近年やっとその異常性や危険性が浸透してきましたが、同様にたぶん霜降り牛なんて病気です。

そういった謂わば技術進化や商業的発展と比例して現代社会に表れ伸びたのが、身体の異常や新たなる病気や人体の成長における不都合が、関連性の有無としては未確認とされてしまいますが、一部の研究結果として多数報告されているのも事実です。

そう、いつからかそういった『不自然な食品』のほうが増えて、いつのまにか、それがあたりまえになってきたのだと思います。

不自然な文明社会の末端に生きて

泳いでいる実物のアジを見て「お母さん、これ鯵じゃないよ。だって身が開いてないもん」なんていうジョークも昔はよく耳にしましたが、「ダイエットや健康のためだと言って薬品漬けの野菜を生でむしゃむしゃ食べる」とか、お米を洗剤で洗い「どんなに洗っても白い汚れがとれない!」なんていう家事の現場のこのような話を現在のネット時代には、多く目にするようになりました。

私も子供の頃は水道水をガブガブ飲んでいた時代ですが、先述した『漂白剤漬け白米』の話にしても、日本であれば、いくらお米は安全でも水道水には一定量の漂白剤が既に入っていますし、加工食品や料理にしても、一定の防腐剤などが入っていることを義務付けられているのが、現代の先進国の安全神話です。

なにもそれらを否定したいわけではありませんよ。しかし、ふと思えば、とても不自然なことなんだよなぁと思うわけです。そんな化学薬品だらけの食品を食べ、薬剤で体を毎日洗い、なにかあれば薬物で治療して、いつのまにか歳をとったら、それらの蓄積した薬害が身体のどこかしらに表出してくる。

そもそもじゃあ『食』ってなんだ?そんな日本の主食と言われる『米』ってなんだ?なんか一人芝居のように自作自演で演じきり幕は閉じる人生劇場。なんの保険をかけたやら…。と、話が飛躍しすぎましたが(笑)

主流がそういう文明の形だとして、お米もそうして白くないお米は捨てて、曲がったキュウリも捨てて、大量に生産し、大量に余ったらまた捨てて、そしてなお、美味しいところだけの粒ぞろいの真っ白なお米を集めて、日本米の美味しさを高めながらも、安価でお求め安いお米。

そしてまるで土も雨も風もまるでなかったような、きれいな食料品の提供。そんな優れた商品を多く生産して、そんなまるで、土を耕してくれた虫の存在も育つのに必要だった菌の存在も、まるでなかったかのように「安全」な食品を家族や子供に与えて、それを「健康」と呼ぶ、まさに先進的なライフスタイル。

そんなこの文明の最先端でもある現在に生きて、普通はそうしていくものです。私だってそりゃあ、虫がついている葉野菜よりも、きれいに整っているほうが、気持ちとしても食べやすいですし、お米だって真っ白なほうが食べやすいです。

当店(八米屋)も、本来であれば、そのように真っ白な美味しいお米を目指すべきなのは確かにわかっています。

しかし、それよりも、そんな現代、この文明の末端に生きて、それよりももっと大切なことがあると、思い直しました。

不自然さをやめる好機は今

もちろん私だって、品質の良いお米づくりは、当然今後も続けていきますよ。そして、高品質で安全で美味しいお米の提供を続けていきます。

ただ、本来の「お米」や「食」って、もっと食料や、そもそもそれらの生命を大事にしていくことなんじゃないかと思うのです。現文明は、少し、ずれてしまったと感じるのです。このままではそもそもの文明自体を壊しかねない方向へ向かってしまっているのではないかと感じるのです。

いささか大げさな物言いではあることでしょう。色彩選別にしても、先述したとおり、選別に落選してしまうお米がとても多いことは事実です。もう少し、そんなもったいなくないやり方も選べるのではないかと考えてみたいのです。

大げさな物言いついでに、もう少し言うならば、今回の主題としての「コロナ禍での気づきと学び」として、これまで産業革命以降、そして戦後高度成長期以降からずっと続けて、いまとなっては止むに辞めないほどの「大量生産・大量消費・大量廃棄」生産量を増やしとにかく現金化することもまた同じことです。

そんな謂わば20世紀の自作自演型インフレーションを原型とした社会システムのように私は捉えているのですが、経済も人口も科学力も生活水準もなんでもかんでも、とにかく成長してく、膨張していく、そして増えたら後進国を買い、また広がり、果ては別の惑星にも増えていけばよい的な、こうして文字にしてみるとほんと救いようのない幻想的な社会構造。

蓋を開ければ、人口はある特異点を境に減ってきて、それに伴い経済もなにもかも下降していき、文化でも科学でも上がるにも限界があることも本当は見え始めて、しかし、それでももう止まれない人類、いまさらやめられない戻れない、変えられない進めない。

国家によっては、そんな限界をこわすために、わざわざ戦争でもなんでもおこしてでも演出する。農作物などでも毒とわかっていても経済効果のために国家間摩擦を演出し薬物利用と購入を自演する。あげくは「日本の米」まで作るな!小麦を買え!とか押し付けようとしたり。

そうやって自作自演的にしないと回らないところまできているのに、まだ続けようとする。もう末期なんだと、本当は大元のシステム自体を変えないと実は破綻は目に見えているのに、まだずっと続けてきた。そんな20世紀文明。

それが、たった数ヶ月でひとつのウイルスによって…大量に作っても、大量に売れない。安く大量に買いたくても、大量に買えないし高い。そんなこんなで、ビジネスもクリエイションも法律も、もう変えないと無理な段階になりました。

100年以上変えられなかったシステムが、たった数ヶ月で崩壊したんです。もちろん苦境の真っ只中ですから、本当にこんな物言いなんかしちゃいけないくらいに、とても苦しく生きている方もいることでしょう。しかし、現実です。

私は、止まる機会をいただいけたのだと感じています。本当は既に不自然に無理して続けてきた文明を自然な正位置へと変え快適にはじめなおす好機(半ば強引ですが)として、人類が、見直したり、変えたり、それこそ新時代へ進むチャンスだと思っています。

害虫という虫はいない

お米や農業から脱線しまくりなので、戻します。ほっといたらもっと深掘りしそうな気配ですからね。八米屋はそういうサイトではありませんから(笑)

さて、八米屋関連、つまりはウチの田んぼの話なのですが、昭和の時代に政策として主に食用のカエルやザリガニなどの外来種生物の輸入がありました。いずれも大失敗以前に、ゆとり教育同様の愚策として歴史に刻まれました。

個人的には現在のGotoキャンペーンは、それら以上の大罪的な愚策と思っているのですが、どんな失策があっても、それを隠蔽することでしょうから、歴史にも残ることはないかもしれないとも思っています。(また話が外れました)

そんな外来種のジャンボタニシは、若い稲を食べてしまうため、当初は強力助っ人外タレとして海外から移籍して来ていただいたにもかかわらず、いまでは田んぼや水路に大量に繁殖してしまい『害虫』としての評価が定着しています。

それこそ20世紀には、他の害虫なども含め、ヘリコプターによる農薬の空中散布などでも、害虫駆除やその他除草剤などで、多くの生物は除去されてきました。いまでは、人体への健康被害の観点などからも空中散布は珍しいものになりましたし、無農薬や減農薬などの自然農法の価値もあがり、農薬は結局『人間に悪い』というとっても当たり前なことに気がついた人類になることがやっとできました^^

それでもまだまだ様々な世代や個人としての多様性として、農薬大好きな農家さんも非常に多いです。前述したように、そのほうが大量に出荷できますし、たぶん手間として労働的にも合理的だと考えているのもあるのではないかという気がします。

そうして、同じ地域の、他の所有者のたんぼや畑では、そのように農薬を使うものですから、結果、どのようなことになるかと言いますと…

なんと!ウチのたんぼに、ジャンボタニシがみんな集まっちゃう!という現象がここ数年の悩みです(笑)

「池の水ぜんぶぬく!」みたいに、日本の田んぼを一度ひっくり返せたなら、綺麗にできるのでしょうけどね。そんなことは不可能ですから、それを可能にするのは、そう、現代では薬物でブッコロスしかないのです。

だからといって、必要のない殺生はする気になれないんです。他にも亀や様々な虫たちや鳥もたぬきもいろいろいます。

『雑草という名の草はない』有名な言葉ですが、草木も同じです。すぐに除草剤を使う人も多いですが、私には雑草のあるほうが美しいと思えるのです。それに普通に考えて、草だけじゃなく、その下の土もその中の虫や菌も、すべてに影響があって、土地自体が汚れてしまうことは、言うまでもなくわかりきってるじゃないですか。

『虫もつかないお米』という不自然さ

「雑草という名の草はない」と同様に『害獣という動物』や『害虫という虫』はいません。そろそろ気がついてもいいと思うんです。『農薬こそがいちばんの害』だということを。

そして、実は、そんな化学薬品や工業品の廃棄などによって汚染された土地や農地を、長い年月をかけて浄化し蘇生してくれる存在。それこそが、現代人が害虫だとか害獣だとか、雑草だとか様々な草木や動物たちなのです。それらの存在を殺すために土地を汚している。もう、まさにナウシカの世界です。

考えたらわかるでしょうって思うのですが、草でも虫でも、他の生物が死んじゃうどころか、農薬を飲んだら人間だって死にます。そんな、生き物が死ぬものを、なぜ、自分たちがたべるものにぶっかけて平気なのか?

私は土や泥や野山の水や、埃や汚れなんかも一緒くたに自然のなかで、要は、バイキンいっぱい摂取して育ちました。ばっちいくらいに汚れて平気で遊んでましたし、それで学んだこともたくさんあります。そしてなによりも、いまだに体がかなり強いです。個人差はもちろんあるから一概に言えることではないですけどね。

そんな現代の親御さんが、子供の行動に対してヒステリックに声をあげるのが「さわっちゃだめ!」「すぐ手を洗いなさい」などですが、そういうところをそこまで気にしているのに、手を洗ってから食べる食材には、絶命する農薬を吸って育った食べ物を平気であげるのです。

人間っておかしなものなんですよね。無農薬の方が断然売れる!なんて時代が来たなら、農家の方もみんな無農薬農法に変わるかもしれませんね。と、思う方もいるかもしれませんが、たぶん、それはきっと無理です。

無農薬は謂わば虫の餌食でもあるのです。手間暇がカケル何十倍も必要になるのです。だからその労働力だけでも、確かに無農薬の野菜やお米は高額になるものです。しかし、やってみればわかるでしょうけど、そんなお米の価格ですが、人件費まで換算するならば大赤字ですからね。

いつからかお米の値段は暴落したまま、戻らなくなってしまったのですよね。そこで無農薬なんてことになると、虫もつくでしょうし、草も手入れが大変ですし、きっと昭和から現在までの多くの農家の方々は手を出さないと予測します。

だけど、わかりきっているんです。『虫もつかないお米』の不自然さを。

スーパーエナジーカプセル?

まだ幼い頃、お米を眺めて思っていたことがあります。「お米ってすげーなぁ!」って思っていました。

なんかこれって宇宙食的な「カプセル」みたいなものだよなぁ。長期間の保存ができて、こんな硬い小さな粒を炊けばふっくらと万能食に変容するんだもんなぁって、栄養価も高く、しかもこの一粒から発芽してまた何粒もに増える!無限増殖!米があれば人類は奪ったり争ったりせず平和になるよな!

…… と、ひとりで感動していた少年の私がいました。

そう、私の感覚では、お米ってエネルギーの塊なんです。お腹も満たして、心も満たす、生命エネルギーの凝縮した粒。生命を生かすポジティブな存在。そんなとても豊かなものなんです。

そうです。だから、本来『食』って、そういうものであると思うのです。お米にしても、そういった本来ポジティブなエネルギーを司る豊かな食料を育てるために、多くの生物を殺生して、自然を汚してまでして、栽培する。そこがもう不自然なんです。

太陽をはじめ、土や水、海のミネラルを運ぶ台風、雨、土地を耕す虫や獣たち、動植物が自然に土の上で死に、それをまた土に還す菌や虫、生命は循環してまたエネルギーとなる。それでまた稲は育ち、葉や花や実をまた鳥や虫に分かち、また人間にも分かち合ってくれる。

その循環を、人間の自己都合的な解釈による利己的な未開な知恵で、愚かにも土の下の本丸ともよべる部分こそを痛め、汚し、傷つけ、殺め、そうまでして大量に生産した実りを、時には大量に廃棄してしまう。

人間的や商業的な品質からの利益やブランドの確立と提供、そういうものも確かに必要だと思います。それによって、お米の品種だって、どんどん豊かにもなり、美味しく進化させてきたのですら。

しかし、当店(八米屋)は、もう、そんな土や虫にいたるまでの全生命全体を豊かにする農業を模索したい。本物だ偽物だ良品だ不良品だと選別するのではなく、命あるひとつぶを大切に守り、それを食するありがたさという生命のエネルギーが満ち溢れることを推進したいと思います。

科学的だとか目に見えないだとか、いろいろな問題もあるでしょう。だが、そろそろ自分本位とも言える「人間本位」な活動の在り方や地球での生き方は、もうやめていきたいですよね。

自分(人間)の利益のために他の生命を殺めてまで、私は農業をやりたいとは思えなくなりました。

みんな無農薬になってしまえばいいのに

当店(八米屋)は、今後は、そいう農業や、そういうお米の提供の在り方を進めていこうと思います。そして、もっと豊かな先進的なやり方があると感じます。お米ってもっときっと優れたものだと思うんです。

豊かな循環する機関である土、つまりは地球ですよね。そこで万物と共に生きて育った、そのままを食する。その土地のそのままを分かち合う。−−− それを今後の当店の理念と致します。

また長くなってしまいましたが、最後に、コロナ禍として危惧することにも触れておきたいと思います。

一つ目に、みんないっそのこと無農薬になってしまえばいいと思う気持ちがあります。そうしたら、その苦労も努力もすべて共感し合えますし、商人的な現代の教育やノウハウしか思考回路にないシステムに従順な脳みその方達だって、お米はとても大変で手に入りにくいから、高くても当たり前だ!それこそ、その農法や土地や自然を皆で守ろうじゃないか!みたいになれるかなぁって思うのです。

… が!そうなるかどうかは、現在の社会をみるとやはり懐疑的です。それこそ、じゃあ私だけが頑固に、無農薬の自然農法なんかを貫き通しようものなら、たちまち近隣の田んぼの持ち主から、苦情の嵐に見舞われるでしょう。お前のせいで、うちの稲まで虫に喰われた!だとか、そういう根拠のないなすりつけをたくさん受けてしまうことでしょう。

もっとひどいのは、お前の田んぼのせいで、他の全田んぼが被害をうけている!だとか、ヘリコプターで農薬散布ができないじゃないか!だとか、昨年よりも収穫量が減ったのはお前のせいだとか、米の検査で階級が下がったのはお前のせいだとか。もう、きりがない。いや、全部、想像ですけどね。しかし、人間って(特に現代に日本人)そんなものだと思うのです。

そして、これをご覧の皆様には是非、これらを読んで感づいてほしいのは、はっきり言っちゃいますが、無農薬だなんて嘘の幻の理想主義な不可能に近いものなんです。

つまりは、隣の田んぼの農薬が水や土を通じて、入り込むので、それらを避けるのは不可能なんです。もっと細かく言えば、複数の田畑を行き来する虫や鳥や爬虫類などを通しても、入り込むんです。

そして、無農薬が理想的で世界中の市民の中で認められても、次は、そうしたら農薬の開発や製造業者が倒産してしまう。だから、やめちゃいけない!なんていう弱者優勢理論が成立してしまうことでしょうし、少なからず薬物や食品にはすべて他国、大国の圧力や要請の下に、外交カードに使われてしまうのがオチですから、きっとそんなお米優勢な時代や無農薬優勢な時代が来たとたんに、テレビCMでは「小麦大好き!」「パンがなければ生きられない!」とかを子役が言うCMなんかがたくさん流れ出すことでしょう。

阿呆らしい話をしていますが、しかしこれでもまだマシです。そうでもならなければ、農民が生きられなくなるような法律が施行されることは目に見えています。もしくは逆に、農民以外の都市部の方々なんかを田舎の農地へ移住させ、農耕をさせていくような「流行」や「幸福論」的な政策をとって、全体の品質を下げてじわじわ崩壊させていくことでしょう。

いや、しかし、むしろその逆かもしれません。都市部などから訪れた謂わば新参の新規農家や家庭菜園規模でもこまめに豊かに人生を過ごされるような方々こそが、自然農法や脱化学薬物を進めていくのかもしれないと、ふと思いました。そしてまた、逆に既存の農家のほうこそが、大量生産における商品価値や農薬の使用の依存から抜け出せず、風習や世間の中で、新規のクリーンな方の足を引っ張ってしまう図もあるかもしれませんね。

とまあ、言い過ぎ以前に、突飛すぎる根拠もない視点を、一応、書いておきました。そういった論点もないと、正確な情報ってバランスが偏ってしまうものなので、こういった与太話も大切なんです。一見解として、バランスの良い正論や結論を導き出すためには、余興としても必要だと思っています。

本当は1編の予定がこうして2編目、それでも結べずに上中下と次回へ続きます。実は本音を言えば、単純にまとまらなくてどんどん長くなってしまっているだけなのですが… さて、次こそ、まとめましょう。

> 次回へつづく −−−

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