2020-10-14

大きな課題と転機(上) − コロナ禍からの気づき 編

前回は余分な余談を挟んでしまいましたが改めまして、前々々回前々回と、今季からの変更点のご説明と称して、あれやこれやとまとまらない話も含めて掲載してまいりましたが、今回は、ある意味で『総まとめ』として書きたいと思っています。

前々回の「色彩選別」についての話の続きでもあるのですが、本文中で『新型コロナウイルス予防対策』として、色彩選別を休止したとお伝えさせていただきました。間違いなく、それが理由です。

そして、今後について、将来「コロナ禍」が終息した時、その後は色彩選別を復活するのかどうかについてですが、再度記しますが −−−『今季のこととしてまずは休止と致しましたが、来季以降においては、まだ未知のこととして、その年々でのお米の出来や品質は、環境や天候により異なるものです。そのため、毎年の収穫時のお米の状態に応じて、今後は選別等の処理を判断していきますので、一概に選別処理をやめたわけでもございません。』−−−

ここで、コロナ禍を乗り越えたなら『必ず再開する』と明記しないのには理由があり、またその点が『大きな課題と転機 − コロナ禍からの気づきと学び』の要点であるのです。

そしてまた、そこが本題であり、また当店(八米屋)としても理念や今後の方針とも呼べるかもしれない重要なポイントだと感じています。まさに新型コロナウイルスがもたらした課題という『恩恵』だと、私は感じています。

今後に対する結論として

まずはじめに結論として述べます。

当店では、今後は可能な限り『色彩選別を行わない』ということを目標にします。

あくまでも『目標』とする理由は、やはり天候やその他の環境のすべてに応じて、お米をはじめ作物というのは、毎年の出来が変わるからです。

そのため『必要』がある時は、色彩選別など、必要に応じてどんなことでもして、品質を高めたお米をご提供できるように努めます。

つまりは、自然生物やそこに関わる万物と人間の努力や技術にしたって、すべては、決して一定ではないということです。なので、その都度の最善を選択していくことを目標とします。

しかしながら今後は、できる限り色彩選別をせずに、品質の高いお米を提供できるように努力する。それが結論です。

理想は理想として、その上でもお米を販売するということは、謂わゆる『商品』なのですから、法律上をはじめ、なによりも社会上の基準値や価値観の共有としても、現実としては、無論、必要に応じて選別はもちろん行うべきと考えています。

現代日本のお米に見る違和感

つまりは、考えを改めたのです。色彩選別がどうのこうのというわけではなくて、八米屋が思うお米や農業というものがあって、そこで私が素直に感じたり思ったり、つまりは「進もう」と思える方向というものは、違うんだよなぁと思い返したのです。

色彩選別って、すごく廃棄米が出てしまうのです。もちろんそれらは飼料米などとして、家畜などの飼料に流用するのが主流なので、決して『無駄』ではありません。

しかし、スーパーなどに並ぶ真っ白なお米を見ながら、なんか違うんだよなぁと、思ってしまう。そして、食べ比べてみれば、大概、私のところのお米のほうが食味は美味しいのです。

あれだけ真っ白にするには、精米時にかなり削っているということです。品種によっては白度が強い品種もあるにはありますが、そうでなければ貴重な栄養素を削り取り、もはやお米と呼べない代物になったものがあれらの真っ白なお米とも言えるなぁとか思いながら、いつも閉口してしまいます。

言葉にならない気持ちなのです。海外産は漂白剤を使用しているものが多いですし、国産でも激安なものや店舗数も多い飲食店チェーンなどの白すぎるライスとかは、きっと漂白されたものが未だに使用されているのではないでしょうか。

お米を主食とする日本でもまだそんな時代なのです。つまりは、何を言いたいのかといえば、私が本当にオススメするお米って、そういう方向性のものではなくて、むしろ八米屋は「農家のお米」なんです。

それを、コロナ禍の最中、色彩選別についていろいろと考えているうちに、たどりついた気持ちでした。

農家のお米は自然の味

まず、当店(八米屋)の理念や方針などの紹介として「八米屋のご紹介」ページにありますが、いまここにきて、改めてそんな想いに巡って蘇る感覚でもあるのですが、個人的にずっと気にかかっていた感覚があったことを思い出しました。

私は子供のころから父が育てた自家製のお米を食べて育ちました。上京後も実家からお米を送ってもらい、基本的には「研究心で極稀にスーパー等でお米を買って食べて見る」以外は、ほぼ、田んぼも水も土も環境や工程さえも知っている農家からのそのままのお米を食べて生きてきました。

途中で、他者の手に渡り知らないうちに、混ぜられたり、削り取られたり、漂白されたり、保存料漬けにされたり、なんてことは一切ない、単一農家の直ルートで仕入れたお米です。

まだまだ20年くらい前は、炊き上がったお米に、稀に小さな石が入っていたこともありましたし、虫食いにより黒くなった箇所があるお米も少なからず混ざっていました。玄米であれば、多少の籾殻なども混入していることも、それらはとても自然のことでした。

当然、私の感覚では、大根に土がついていることも、きゅうりが曲がっていることや、野菜に虫食い穴があったり、いまでもトラウマ的なのは、食事中に、ほうれん草のおひたしを食べていたら中から茹で上がったイモムシが出てきたことです。いまになってもほうれん草は大好きですが、慎重に食べています。

新米の美味しさは格別ですし、古米はまた古米らしく美味しいですし、冷めても美味しいですし、臭くなんてならないですし(もちろん腐ったら知りませんよ)、自然の美味しさって、農家ならではの農家のお米の味なのかもしれませんね。

成長していくにつれて様々な環境で育ってきた、多様な方々や友人と出会っていき、そんな「自然なおいしさ」も、共通ではなく、自分はかなり恵まれていたことがわかってきました。都市部の友人たちのように、カタカナの高額ないろいろな料理は、確かに私は知りませんでしたが、どうやら「自然の味」を知っているということは、ものすごく希少で、貴重なことなのだと、それなりの年頃になる頃には自覚してきました。

真っ白なお米は優秀?

漂白したお米でも、時が時として災害時や有事、食糧難ならばそりゃあありがたく食べるかもしれませんが、プラスチックのお米だったなら食べないことでしょう。しかしながら時は有事などではなく、それこそかつては経済大国として世界中の土地を買い漁るくらいのバブリーな最中にこそ、そんな漂白米は生まれたのです。

蛇足ですが、そんなお米を見て思い出すのは、ギリシャの神殿や彫刻についてです。現代ではご存知の方も増えてきたと思いますが、あの青いエーゲ海をのぞむ真っ白なコントラストが象徴的なギリシャのあの『白』。教科書やゴリ押しの旅行会社のパンフレットなどでも少しは影響され刷り込まれてしまった感覚もあるのではないかという気もするのですが、あの美しい、それこそ西洋美術の中の美の中の美の基準とも言える『白』。

あれはすべて後世に作られた嘘の世界でした。本当のギリシャの神殿や彫刻は、正反対の『極彩色』まさにアジアの神殿などと同じオリエンタルなカラーでした。五色に彩られた世界、それがギリシャ文明だったのです。

ならばあの『白』はいったい?それは、発掘後にすべてを所持した大英博物館が主体となって、まだ色の痕跡が多くあった彫刻をすべて念入りに削ってしまったのです。真っ白にやすりをかけたわけです。まさに歴史的大罪だと思うのですが、大英博物館らしい所業だと、まざまざと思います。

本当の理由は誰も口を割らないでしょうが、予想するにはやはり、多かれ少なかれそこには白人至上主義的な、白色優位な美的感覚と概念的支配欲(裏返せば虚無的恐怖心)があったのだと思うことができます。

話をお米に戻します。なんかとても似ている話ですが、お米も同じようにどんどん白くなって大量生産し大量消費されるようになりました。真っ白のほうが売れるからです。

そして同じ田んぼのお米も、色彩選別を行う前は「二等米品質」だったのに、選別後では「一等米」になります。お米の価格も一等米のほうが高額になるため、それだけ大きな違いが出ますから、農家も予算をかけて色彩選別をするようになってきました。結果、そのほうが儲かりますし、格も上がりますし、なにより生産者としては純粋に嬉しいですからね。

この色彩選別はまだ玄米の話ですから、その上で、上白精米以上の加工をすれば、すごく真っ白なお米になって、スーパーでもひときわ輝いて見えるのかもしれません。

お米を想っていることにかわりはない

ここまで読んでしまうと、まるで真っ白なお米が悪い!みたいにもイメージされてしまう方もいるかもしれませんので、ここで弁解を少しお伝えします。『一等米』になるにはもちろん理由があるのです。

色彩選別の話に戻せば、虫食いの黒ずみのあるお米は、もちろん厳密に言えば、食感も悪いでしょうし、栄養価も落ちてしまっている粒と言えます。それを省くということは、選別された優勢で優秀な粒だけが残るわけですから、当然、品質や食味値も上がるのです。

本当に決めの細かいおもてなしをする料理屋では、一粒一粒お米を選んで、粒ぞろいの良いご飯を炊き上げる時もあるそうです。それと同様に、品質でいうならば、色彩選別はとても必要不可欠な工程であり、色彩選別機は稲作にとって、とても大きな救世主でもあるのです。

なので、誤解はなさらないでください。私は色彩選別を否定や批判をしようとしているのでは全くないのです。品質が高い、価値が高い、価格も高く、利益も大きい、などなど現代商業の常識的な基準です。そうして日本のお米を品質の高いものにみんなで押し上げ、また維持していることは、とても素晴らしいことだと思っています。

ただ、きっと私の思う方向はそこではないのです。それがいまやっとはっきり思えてきたかなって思えています。数年前までは、本当はもっと能動的に広告的にもユニークに仕掛けたりと企画もたくさんアイデアはありました。私の本業はそのころ制作や広告屋などでしたから尚更です。

しかし、本音をこぼしますが、現場の農家の者たち、つまりは私の親たちの世代や私の上の世代の方でもあります。本当にすごい腕や感性をもっている方々です。天才と認めている人もいます。無論、本当の意味での主役たちです。当然ながら私は頭が上がりません。どうしても意見は合わないのです。だからこそ八米屋は中途半端なままに、ずっと保留のように特には何もせずただお米の販売だけを続けてきました。

20世紀を生きて来た時代の観念や役割と、いまの私では、どうしても見ている世界が全く違うことに、大きすぎる壁を感じるのです。そして、その壁を壊してまでやりたくはないのです。その世界にはその世界のすべてがあって、わざわざその世界に介入するのではなく、むしろ、そうならそうで、尊重して最後までやり通せるように、幸せであれるように手を貸したいのです。

ましてや、これまで多くのことを、言葉からでもなく、本当に背中から学ばせていただいてきたのですから、それと同時に風や土や光や水などの自然からも、多くのこと、言葉じゃないことを学ばせていただいてばかりです。愚直な農家とか、ただ自然と共に生きるとか、ただそれだけでもうお腹いっぱいな情報量です。

私の一番の本意としては、すべて同じではあるのです。なにがって、『ただただ、いいお米、美味しいお米、安全なお米を作り続けること』ただこれだけが一番重要な指針です。そこだけは、完璧な自信を持って、八米屋は適えています。

だから、それ以外は、ほぼ、浮かんでは諦めたアイデアばかりで、なんだかもうわけがわからなくなっていた時期もありましたが、今回コロナ禍において、確かな気づきを学べたと感じています。「あぁ、これはこれでよかったんだなぁ」って、だからこそいまは思っています。だからこそ、守れるものもあったんだと。

で、そのきっと、守ってこれたものが『品質』なのだと思います。品質とは言っても、きっと、私の思う品質は「真っ白なお米」という品質とは違っているということなのかもしれません。

有色有味なお米をそのままに

人生の中で数名、本当に少数ですが、同じあることを言った人に出会っています。それは「お米って味が無いから」という言葉です。

私も昔は若かったですから、ただただ「へぇ〜」って、そんな人もいるんだねという感じで、驚くばかりでしたが、もう少し後になり歳も重ねて思い返すと、言葉にはできませんが、というか、あえて言葉にはしませんが、少し悲しい気持ちになります。

一流の料理人になるのは、多くの有名店の料理を食べ歩いた者ではなく、不便な田舎に生まれ自然そのものを五感で味わった者のほうだ。そういうような言葉を耳にしたことがあります。

化学調味料しか知らない料理人が作る料理とか、大きい声を出すことが歌うということだと思い込んでいる歌手の歌う歌だとか、もしもそんなものが本当にあったなら、きっとほとんどの方が、そんな悲しい気持ちになると思うのですけどね。私は。

真っ白で無味無臭なお米。まるでそんなお話のようですが、なにもかもすべては『比喩的表現』ですので、実際は、そりゃあ白いお米は美味しいですよ^^

しかし、本当は、お米って『白』ではなく、少し黄色味が入っているものです。玄米なら茶色味です。これは精米の白度にもよりますが、美味しいのは七分搗き(しちぶつき)あたりだと、一般的には言われていますが、好みや用途や品種によっても、これは十人十色ですよね。

まとめると、当店(八米屋)は、そのように『有色有味』お米の本当のそのままを大切にしたいと思うのです。つまりは大げさに言うのなら、お米がどんどん白くなっていった20世紀を逆流し遡るようなものです。そのまま弥生や縄文までぶっ飛んでしまうのもいいかもしれません(笑)

いまできることをやろう

「いまできることをやろう」by アナ(アナと雪の女王2)みたいですが(笑)私はあの歌も、かなり好きです。

『コロナ禍においてコロナがくれたもの』やはり一番は『見直す』ということ、それは「気づき」でもありますし、「変化」を「受け入れる」そして「変わる」ということだと思えます。以前、書いたと思いますが、私は、もうコロナ以前の世界には文明も社会も生活も戻ることはないと感じている人間です。

なぜか日本政府は、どんどん感染者を増やそうとする政策ばかりをアナウンスしているのが滑稽で不可思議に思えますが、いつだって大多数はそれに流れてしまうことも、また、なにも受け入れずに変わることを集団で拒むということも、歴史や時代が証明しています。

だからこそ、ただいま、わたしができることをやろうと思う。そういう人がマイノリティーでも静かに少しずつでもできることができたならって、やはりそう思うんです。っていうか、まぁ、お米の販売について、そーんな大きな話ではないんですけどね(笑)

これを書きながら、自分の頭の中のような場所を整理している、そういう書き方の作業になってしまっているので、きっとこれを読んでくれている方には、読みづらくて本当に申し訳ないなって思っています。これ以上続けたり広げてしまうと、さすがにお米とか農家とかの内容をかなり逸脱してしまう危険性があるので、そろそろまとめようと思います。

色彩選別の有無については、選別の有無が重要なのではなくて、お米の品質が重要なのであって、今後も臨機応変にお米と対話しながら、その都度決めていきますので、皆様、ご安心ください。

その上で、今後の八米屋としては、より一層、原点に戻ろうと思います。それは、商業的に商品としての基準による一定以上の品質に合わせるのではなく、今後は、自然と共に田んぼで育ったお米をそのままの品質でご提供できることを第一に優先致します。

そこには美味しさのための技術も安全性のための知識も際限なく必要ですし、そして、そのお米そのものや万物、生命そのものを余すことなく大切にすること。

つまりは『お米というお恵みをお分かちする』その喜びを八米屋は、担わせていただきたいと思っております。

もちろん人間の好みの需要に合わせより白米を洗練させ品質を高め、しかもそれを多く収穫できるようにすること。それも大事なひとつの道です。しかし、当店は別の道が向いているようです。白くなくても、虫食いでも、そもそものそのままにお米自体を大切にすることのほうが大事に思えます。

今回は長文すぎていますが… 次回、最後に「まとめ」でもありますが、その他関連する事柄も含め記します。(まだ続くのか 笑)

> 次回へつづく −−−

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